5月に友人のKYOKOちゃんを通じて、
Aloha mai Mauiのブランケットを送らせていただいた(→過去日記)、
相馬市の社会福祉協議会の代表の方から、お礼のお便りをいただきました。
一部プライベートに関する箇所などは省略させていただきましたが、
震災直後から今まで、相馬市がどのような状況であったかなどを
詳しく書いていただき、それを読むにつれ、今回の震災と津波がどんなに
大変な災害であったかを再度思い知らされました。
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3月11日に発生いたしました未曾有の「東日本大震災」の避難所になりました、
相馬市総合福祉センター「はまなす館」に対しまして、
特段のご支援を賜りまして誠にありがとうございました。
今回の東日本震災により、6月29日現在で相馬市民でお亡くなりになった方が444人、
未だに行方不明の方が15人という状況です。
亡くなられた方の中には、地震により大津波警報が発せられ、
地域の住民を避難させるために、避難の広報に従事されていた消防団員が10人おります。
一家の大黒柱として農業や漁業等に従事されていた方々です。
私ども、相馬市社会福祉協議会が入居している相馬市総合福祉センターは、
建設以来、始めての避難所の指定を受けまして、
震災直後は1,000人近い避難者の方を収容し、何をどうしていいのか分からないまま、
全職員が交替勤務で24時間避難所の運営にあたり、
市内全体では、約4,400人以上の方が被災され、避難所に収容されたと聞いています。
地震と津波、その後に福島原子力発電所の爆発に伴う放射能の拡散報道が過敏なくらい行なわれ、
市民の中にも相馬市を離れたという人がおり、同時に国内の物流業界関係者にも、
その報道により当地方への物流が福島市や郡山市で止まってしまい、
燃料や医薬品、食料品、日用品等の物資が入らない日が続き、
ガソリンスタンドやスーパー、コンビニに商品が入らないため閉店を余儀なくされ、
市民の日常生活にも不便な生活がしばらく続きました。
—中略—
仮設住宅が全戸完成することにより、5月26日には、
震災の日から99日目の6月17日(金曜日)午後5時をもって
避難所を閉鎖するということが、相馬市災害対策本部から通知がありましたときは、
あともう少しの頑張りだなという気持ちと、緊張していた自分の気持ちが緩み、
翌朝は起きることが困難でした。
お送りいただきましたブランケットにつきましては、被災された方々の心を癒すため、
多くの方の目の届くところに掲示させていただきました。
避難所は閉鎖されましたが、7月1日から震災の翌日から避難所になっていたため、
事業を休止していましたデイサービスセンターに掲示させていただき、
高齢者に見ていただこうと思っています。
私どもは、今回の大震災の被災者のため、さらには、相馬市の復興のため、
微力ではございますが頑張ってまいりますので、
今後とも特段のご理解とご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げますとともに、
御礼が遅れましたことをお詫び申し上げまして、まずは、
書面をもって御礼とさせていただきます。
敬 具
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まだ大変な時期であるのに、このようなご丁寧な礼状をいただき、
恐縮してしまいました。
復興はまだまだ先です。私たち一人づつが小さなことでもいい、
できる事をコツコツやっていきたいと再度思いました。
コメント
★ろぐぶっくさん、ふーさん、KYOKOさん、
お返事が遅くなってゴメンナサイ!
いつもブログを見ていただいて、本当にありがとうございます。
Akiyoさん、 お礼状upしてくださってありがとう!
今日は7月11日、4カ月、思いを新たに、もっともっと支援したいという気持ちになりました。先日のハワイに来られた被災者の方々の通訳ボランティアをされたAkiyoさんの姿、目に浮かびます。私もマウイの風と共に、、、
思いが届いて良かったですね。
多くの方にマウイの風が届いたのですね。
気持ちは届くし、
届いた気持ちは帰ってくるね!