2月28日に、ウォリー・カナメ・ヨナミネ(与那嶺要)氏が
ホノルル市内でお亡くなりました。享年85歳。
(→毎日新聞の関連記事)
〈写真:マウイニュースより転載〉
日本のプロ野球において初めての外国人選手として、
当時の巨人と中日で活躍し、野球を通じて日本と米国の
架け橋となった方でした。
〈写真:マウイニュースより転載〉
彼は、「マウイ・ボーイ」。私が毎日通勤で通る、オロワルで生まれ育ち、
高校はラハイナルナ・ハイスクール卒だそうです。
マウイ・ニュースでも与那嶺氏の貢献を大きく取り上げていました。
実は彼の息子のポールさんは、タンだんなの高校の同級生。
2007年にオアフ島、カハラにあるポールさんのご自宅で
同窓会がありました。
夫婦同伴の同窓会でしたので、私も同窓会にお邪魔しましたが、
お父さまのウォリーさんにはお会いできませんでした。
日本で外国人選手として初めて野球殿堂入りし、
アメリカでも野球殿堂入りしている与那嶺氏。
ホノルル空港にも彼の貢献振りが写真等で展示されています。
この12年間、前立腺ガンと戦っていらしたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。。。。
コメント
★TAKUMAくん、
新聞で読むまでは、わたしも
氏の功績をよく知りませんでした。
すごい方だったようですね。息子さんはとってもやさしい
ジェントルマンです。
★イチヘ~さん、
叔父様、野球界の方なんですね。すごい!
そんな逸話があったのですね。ステキな思い出
のお話、ありがとうございます!
小生の叔父が大洋の選手〜監督をやった元プロ野球選手で、マスターズリーグ(プロ野球OBが札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の5チームに分かれてのリーグ戦)の立ち上げに関わっていた関係で、小生も東京ドームで行われるマスターズリーグを頻繁に見に行ってましたが、2006年に杉下茂さんが名古屋の監督になった際に、与那嶺さんがコーチとして招集され、選手名鑑を見てマウイ出身と知りました。
東京ドームで行われた東京vs名古屋戦の時に、パスを貰ってグラウンドの中にも入れてもらったので、与那嶺さんを見かけたらマウイの話しでもしよう…とカパルアのウインドブレーカーを着て行きましたが、残念ながらその日はいらっしゃらなかったのでした。(どうやら名古屋で行われた試合だけ来たみたいです)
ちなみに、着ていたカパルアには佐々木信也さんが食いついてきました!(カパルアにコンドを買おうとしたけど、高かったのでパームスプリングスに…って話しをしてました)
東京ではスポーツニュースでチラっと報告されてました。
今の若い人は知らないからねぇ。
我々の小さい頃活躍した選手、どんどん逝ってしまいます。