ホクレアとビッグウェイブ・サーファー(Story of Hokuolea & Big Wave Surfer)移住の歴史に刻まれた出来事


『HOKULE'A』-ハワイ語で"幸せの星"

  • ホクレア
    ホクレア
  • ホクレア入港
    ホクレア入港
  • 上陸
    上陸
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『HOKULE'A』-ハワイ語で"幸せの星"または"喜びの星" は、うしかい座の1等星を表す名前。タヒチからハワイに向かうときに、その方角を示す星だという。

10~12世紀頃タヒチからハワイへ移住してきた人々がカヌーで渡ってきた記録をもとに、アメリカ合衆国建国200年行事の一つとして1975年に再現されたカヌーに「ホクレア号」という名がついた。ホクレアは船体はグラスファイバーで作られたが、当時と同じ二つの帆を持つ双胴カヌーで近代計器を持たない。夜は星を、昼は太陽を見て現在地を割り出し、うねりの方向で島の位置を知るという古代航海法によって、先祖たちが渡った同じルートをたどる目的でつくられた。

  • 歓迎の儀式
    歓迎の儀式
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  • 歓迎の儀式
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そして1976年にマウイ島を出発してタヒチについた最初の航海から2001年は25周年になり、全島各地で記念寄港行事が行われた。写真はマウイ島のキヘイに寄港したときのセレモニーだ。残念ながら当日は雨模様でシンボルの二つの帆もたたまれていたが、感慨深いものがあった。それは単にハワイ民族移動のルーツをたどる記念セレモニーを見ることができたということだけではなかったからだ。

ひとりのサーファーとホクレア

1967年、ワイメア・ベイで40フィート(約12メートル)の巨大な波に挑んだ一人のハワイ人サーファーがいた。彼の名はEddie Aikau。以来“Eddie Would Go(エディなら行くぜ!)”として知られるようになった彼は誰からも愛され、その後ワイメア・ベイの最初のライフガードとなり、彼の救助活動は多くの命を救った。(参考記事)  その功績もあり、彼はホクレア号の第二回航海のクルーに選ばれた。1978年ホクレア号は第二回航海に出発後、まもなく嵐のために転覆した。そして転覆したホクレアにつかまって漂流していたクルーの中に彼がいた。

Eddieは積んであったボードにのり、他のクルーの救助を求めるためパドリングで暗闇の海をラナイ島へ向かった。ビッグウェイブ・サーファーでライフガードである彼にとっては、どんなに海が危険な状態であってもごく自然な行動だった。そして他のクルーもEddieなら波に飲まれることもなく助けを呼んでくれると信じていたと思う。翌日空からの捜索で転覆したホクレアにつかまっていたクルーは全員無事救助されたが、ワイメア・ベイでEddieの姿を見ることは二度とできなくなった。

彼の死は深い悲しみとなって全島を走った。それは世界のビッグウェイブ・サーファー達にとっても衝撃となり、そして彼らを動かした。彼らはヒーローの名前を永遠に残すため、Eddieの名を冠とした世界でもっとも高い波に挑むサーフ大会を開くことにした。それがワイメア・ベイで生まれた『The Quicksilver In Memory of Eddie Aikau Big Wave Invitation』、通称『The Eddie』とういう大会だ。常時40フィート(約12メートル)以上の波がないと開催されない大会。まさにビッグウェイブ・サーファー Eddie の名にふさわしい大会となった。

マウイで行われるホクレア記念寄港に Eddie のご家族が招かれるという噂を聞いた。もちろん +Hawaii は皆さんにお目にかかったことはないので、ここキヘイで行われたセレモニーにご家族が参加されていたのかはわからない。ただホクレア号の25周年記念セレモニーに立ち会える機会をもてたことはとても心に残る想い出となったことは確かだ。当日は Eddie が遭難したときとはちがい、とても穏やかな海だった。

尚、ビショップ博物館のプラネタリウム・ホールでは、「ホクレア号」の資料や模型を見ることができるそうです。

■初出:2007年5月 ■更新:2019年12月